くらふとくらす
きれいな純黒の石の伝統工芸に復興をたくす、三陸の小さな町の物語。

雄勝石(おがついし) の道具

雄勝石、って知らなくても、JR東京駅、丸の内側駅舎のあの黒屋根の石といえば「見た!」そんな方もいるかもしれません。
別名、玄昌石。くさびで割るとタテに薄くうすく割れる性質と、純黒の色を持つ石です。宮城県の雄勝周辺など限られた土地でしか採れません。

美しい海と谷の雄勝の町には、600年前の室町時代から、この石を加工する職人たちが暮らしていました。特に有名なのが、肩にあてがった石用の鑿(のみ)で、体を使って一つずつ削りあげられる硯です。江戸時代には、伊達藩に保護されました。これが名硯「雄勝硯」として、近年は海外にも名を馳せる美しい品です。町には石の切出し場、加工場、職人の仕事場などがあり、役目を分担して石とつきあいました。

玄昌石の「玄」とは「すべての色を溶かしこんだ色」という意味なんですって。この美しい純黒の石を、現代の暮らしのなかでもっとフレキシブルに使ってほしい。そんな雄勝石の職人たちの手で、シックな玄昌石皿が誕生しました。

 

雄勝石

「雄勝の伝統を、未来への力にしよう!」雄勝硯生産販売協同組合

その矢先の2011年の震災でした。雄勝には、いまは町の姿はありません。穏やかな海の音が、緑の谷あいに寄せています。
ここは近郊より復興の遅れる地域のひとつで、2012年の春にもがれきが片づいていなかったほど。住人も四散し、雄勝硯の継承も心配されています。そんな町に、灯みたいに建てられた住人たちの復興商店街、ここに「雄勝硯生産販売協同組合」の皆さんも集まりました。

商店街を訪れたのは初夏。夏の「おがつクラフトフェア2013」ポスターに迎えられました。
「今年で2年目です。雄勝石作品だけじゃなく、若い作家の作品販売、石の箸置きづくりワークショップなどにぎやかですよ」とは、硯職人の高橋さん。「箸置つくりでは、私たちは雄勝石の石割り実演からできるからね。うわっ初めて見た!って、みんなびっくりします」と、にこにこします。

この石材は、震災後、多くの方々の手を借りて、四散した板を丁寧に拾ってきれいに洗ったものです。実は、東京駅丸の内駅舎の復元(2012年)のために準備していた屋根材も、こうして皆で集めて整え、蘇らせて納品しました。

「雄勝はね、人がいなくなっちゃって静かになってしまった。私は将来、ここにいろんな工人が集まり、閑静な『工芸の里』になるのもいいなと思うんですよ」と高橋さんは話します。いまは、雄勝町で8名ほどの石職人が活動しています。露天掘りの採石場も動き始めました。
「雄勝石600年の伝統が、雄勝の町の力になるんです。何よりも、ここで、私たちが歴史を絶やしちゃいけないですよ」。高橋さんは、若い職人さんと肩を並べ、記念品として受注されたスレートの仕上げに戻っていきました。

 

黒漆ともちょっと違う。気軽に愉しめる特別感。

くらふとくらすでご紹介する品々を丹精を込めて仕上げるのは、昔と変らぬ職人の手です。
雄勝石の美しさを知り抜く人々が、いい品を、丁寧に創りあげてお届けしています。

黒いお皿は使いかたがむずかしそう?きっと、そんなことはありません。
黒漆の器を使いこなしてきた日本人は、
いろいろな食材の色をひきたてる黒の美しさをよく知っているはず。
だけど漆器より型にとらわれずに活用できる器だから、
ぜひモダンに、気軽に愛用してくださいね。
(何か新しい発見があったら、ぜひスタッフにも教えてください)。

「雄勝硯協同販売組合」

雄勝石

雄勝硯――。肩を使って雄勝石を削り、一彫りに丹精をこめて美しい彫刻を施す名硯。600年前から伝わる伝統工芸を現代に伝える、石工や職人さんたちなどの協同組合です。
現在は「室町時代から600年からつづく伝統を、この先の時代に残していこう」と活動をつづけ、さまざまな日用品・記念品などを雄勝石で作り続けています。その品々は、雄勝町舎広場にできた雄勝復興商店街「おがつ店こ屋街」わきの組合の仮工房(2013現在)でも入手できます。

 

 

おだやかな海と谷の町は、おなじく復興をとげる南三陸町への途中。
お近くにお寄りの際はぜひどうぞ♪
人の温かさが、優しく迎えてくれます。
(雄勝硯職人・高橋さん)

雄勝石(宮城県石巻市雄勝町) を復興支援するプロジェクト

 

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